道田宣和のさすてーなモビリティ vol. 26団塊世代のサステイナビリティ パリはEVもまた愉しからずや

(2016.10.14)
お馴染み、凱旋門広場の円形交差点を嬉々として旋回するルノーのEV、“ゾエ”。手前のシルバーがそれ。“リーフ”で先行したパートナー、日産の累計25万台には及ばないが、ルノーはルノーでこの8月に10万台目を記録し、ルノー-日産アライアンスのトータルでは世界で販売されたEVの実に半分を占めているとか。
お馴染み、凱旋門広場の円形交差点を嬉々として旋回するルノーのEV、“ゾエ”。手前のシルバーがそれ。“リーフ”で先行したパートナー、日産の累計25万台には及ばないが、ルノーはルノーでこの8月に10万台目を記録し、ルノー-日産アライアンスのトータルでは世界で販売されたEVの実に半分を占めているとか。
フール・オン・ザ・ヒル

♪街の灯りが……♪
新幹線がヒューンとドップラー音を響かせながら真下のトンネルを潜り抜ける日吉の丘の4年間。あの頃はまだ下界に高い建物がなく、10数kmも離れたマリンタワーの赤や緑が夜目にも鮮やかにクッキリと見えた。時あたかも「70年安保」で騒然とする中、半ば自嘲気味、半ば本音で「ノンポリ」を任じていたボクは全学ストをいいことにバイトで稼いでは遊びに興じる一方、長短のドライブに繰り出してはクルマへの傾斜を強めて行った。

当時学生寮と言えば国立は「セクト」が牛耳り、私学は私学で体育会系というのが通り相場だったが、その両者が不思議な間合いを取って言わず語らずのうちに互いの不可侵を守り、絶対多数を占める我々ノンポリたちとともにどこか旧制高校めいた、自由で闊達な雰囲気を醸しながら共棲していた。

そんな仲間も卒後は商社や銀行、メーカーの企業戦士になるのが大半で、敢えて小さな出版社に禄を求めたボクの人生は異色と言えば異色。そのあたりが同窓会幹事の目に留まったものとみえ、この春古巣での講演を請われた。新入生・在寮生とOB相手の題目は『人生のバランスシート』。不確実性を増した現代の若者に業種や職種の違いで生じる(個人としての)得失を説いたつもりだったが、終わってみれば図らずも自身の半生を省みる機会にもなり、感慨深いものがあった。

学生のひとり曰く、流行のカーシェアリングを利用するなどして結構愉しんでいるそうで、若者すべてがクルマ離れしている、わけではもちろんない。
学生のひとり曰く、流行のカーシェアリングを利用するなどして結構愉しんでいるそうで、若者すべてがクルマ離れしている、わけではもちろんない。
 
それはちょうど40年前のパリから始まった

退職後フリーランスとなってからはもちろんのこと、四半世紀に亘って在籍した月刊誌編集部をはじめとする出版社時代も世間的にはいわゆる事務職の会社員でありながらどこか職人的だった。何の職人かと言えば、自らクルマをテストし、執筆し、プロの撮った写真と付き合わせて誌面に仕上げる文章の職人である。

その「職人への道」を披瀝する中で象徴的だったのが、初の海外出張となった1976年のヨーロッパ取材。パリのルノー本社で「足」となる広報車を借り出してルマン24時間レースやF1のモナコ・グランプリなどモータースポーツのクラシックイベントばかりを追っ掛けた、トータル1ヵ月弱に上る夢のような旅だった。

まだE-mailどころかファクスもない時代だから取材先への連絡は手紙か電話か、はたまた紙テープに穿孔して通信する「テレックス」に頼るほかなく、安い航空券(南回りで30時間+)の手配から片言を交えての現地交渉に至るまで、最終的な製品たる文章そのものの熟成度は言うまでもなく、取材にまつわるもろもろすべてが「徒弟」には必要な修行に違いなかった。
−−でも、愉しかったな。
そうだ パリ、行こう。

峠を越えればイタリアのアオスタ。アルペンルートのヘアピンカーブで佇むルノー15。このクルマで仏伊を駆け抜けた。“CAR GRAPHIC”1976年9月号より。
峠を越えればイタリアのアオスタ。アルペンルートのヘアピンカーブで佇むルノー15。このクルマで仏伊を駆け抜けた。“CAR GRAPHIC”1976年9月号より。
 
ヨーロッパで最も売れているEV

メトロの9号線から降りて歩くこと10分余り。せっかくだからプジョーでもシトロエンでもなく昔と同じルノーをということで、今もパリ郊外のセーヌ河畔、ブーローニュはビヤンクールにあるその広報車デポへと向かった。

40年前は小粋な“15”クーペを借り、その後も高級ワンボックスの“エスパス”などを受け取りに何度か訪れたが、今回ボクを待ってくれていたのは100%電気自動車の“ZOE(ゾエ)”。クリオ(日本名ルーテシア)クラスのサイズといい、リチウムイオンバッテリーを搭載するEVシステムの構成といい、全く同じクルマではないものの、ポジショニング的にざっくり言えばアライアンスを組むパートナー、日産リーフのルノー版と思っていい。因みに、“ゾエ”はフランス人女性に多い名前だが、もちろんZE=ゼロ・エミッションにも掛けてある。

記念すべき自身の「40周年」に、数あるルノー・レンジの中から特にこのクルマを選んだ理由は簡単だ。久々のパリとあってなにかと「浦島太郎」状態にある現在のボクにとって、新しいけれども代わりに多少の不安要素もあるEVを、敢えて異境の地でトライするだけの気力と体力が自分に残っているかどうか、そのこと自体を試したかったからにほかならない。

早い話、距離と使い方によっては路上でガス欠ならぬ「電欠」に陥らないとも限らないし、そうなったらなったで結構煩わしい事態が待ち構えているだろうことは容易に想像されるからである。ハラハラドキドキと向き合うのは体力が要る。

−−でも、愉しかったな。

ビヤンクールのプレスカーロットで「電気を食む」ZOE。こんな可愛らしい色もある。
ビヤンクールのプレスカーロットで「電気を食む」ZOE。こんな可愛らしい色もある。
電気で勝つ! ラウンドアバウトの熾烈な闘い

案の定、キーを受け取り、イグニッションを“READY”にした瞬間、早くも後悔の念にかられた。フル充電のはずなのにこの時表示された航続距離は僅か137kmというもの。スペックを見ると本来NEDC(新欧州ドライビングサイクル)で210kmは保つはずなのに、これじゃあパリ市内だけでも渋滞に捕まったりしたらオチオチできないなと先行き不安になった。

ところがいざ走り始めてみると、幸いなことにそれが杞憂であることが分かった。数字が低かったのはたまたま直前に乗ったドライバーがかなりの「飛ばし屋」だったらしく、ボードコンピューターはガソリン車のそれと同じく、その時のデータを元にして次の予測をするからだ。

実際、市内への道順を思い出しながら歳相応の分別を発揮して右足に込める力を優しくコントロールしてやるとすぐに140〜150km台を回復。その後はむしろ混んだ都心に近づけば近づくほど上がりも下がりもせず、数字の変化が少なくなった。信号待ちやゴー・ストップの多い市街地ならその分、減速に伴う発電(回生ブレーキ)も多くなり、結果として恐れていたほど減らなかったからである。この日は「お上りさん」よろしく朝から夕方近くまで観光名所みたいなスポットばかりを訪ね、トータル42.8kmを走ってそれでもあと110kmは走行可能な航続距離を残した。バッテリーは容量22kWhのうち6kWhを消費し、「電費」の平均は100km当たり15.0kWhとなった。シティユースならまずまず充分であろう。

内外装ともデザインそのものは全く異なるが、それでもなぜかステアリングの操作感をはじめとして厚手のシートなど、どことなくリーフを想わせるのはルノーと日産がアライアンス関係にあるからか。
内外装ともデザインそのものは全く異なるが、それでもなぜかステアリングの操作感をはじめとして厚手のシートなど、どことなくリーフを想わせるのはルノーと日産がアライアンス関係にあるからか。

その一方、実は「走る・曲がる・止まる」のパフォーマンスも期待以上と言えた。特筆すべきは、必ずしもZOEだけに限った話ではないにせよ、やはりEVならではの圧倒的な瞬発力と静粛性に違いない。

例えばこうである。円の中心に向かって計12本もの“アヴェニュー”や“ルー”が信号なしで交差し、そのいずれかの出口を目指して真横に並んだクルマたちが一斉に鼻先のリードを奪い合う、あの悪名高い凱旋門のラウンドアバウトでもZOEにとっては独壇場。目の前にほんのちょっとの空きスペースさえあれば確実に「勝利」は我が物となるのである。電気モーターの特性で、踏めば一瞬のうちに持てるトルク(力)のすべてが生み出されるからだ。
ここでは歳甲斐もなく右足を目一杯踏み込む自分がいた。

この分なら、まだしばらくはサステインできるかも……。

去年の第21回国連気候変動枠組み条約締結国会議(COP 21)で採択された“パリ協定”への認知をセーヌ右岸のプロムナードで呼びかけるインスタレーション。折からCO2二大排出国の中国とアメリカが批准し、11月4日に発効することが決まった。日本は国内手続きの遅れから、まだだ。ここではそれを受けて具体的なルールを決めるCOP 22が11月にモロッコのマラケシュで開かれることを告げている。
去年の第21回国連気候変動枠組み条約締結国会議(COP 21)で採択された“パリ協定”への認知をセーヌ右岸のプロムナードで呼びかけるインスタレーション。折からCO2二大排出国の中国とアメリカが批准し、11月4日に発効することが決まった。日本は国内手続きの遅れから、まだだ。ここではそれを受けて具体的なルールを決めるCOP 22が11月にモロッコのマラケシュで開かれることを告げている。