みんなが集まる「篠山」をお散歩 - 1 - 自然と手仕事の魅力を求めて。
『居七十七』の野澤夫妻の暮らし。

(2011.08.22)

夫婦ふたりで念願の田舎暮らし。

木工作家の野澤裕樹(のざわ・ゆうじ)さんが篠山に住み始めたのは2008年。結婚を機に、ずっと心の中で願い続けた田舎暮らしを実現するべく、よくドライブで来ていた篠山が好きだったので“直感で”選んだのだそう。移住後は奥さまとふたり、お店&アトリエになる古民家を探し続ける日々。そうして2年後、篠山でも少し奥まった栗柄という集落にある一軒の古民家と出会いました。

早速改装をして、今年7月『居七十七』をオープン。野澤さんの木工作品の展示、奥さまの香織さん(愛称:ジョイさん)がセレクトした手仕事の作品や暮らしの雑貨の販売、設計&リフォームの素材の展示などいろいろなスペースを兼ねたショップです。ショップの横には野澤さんのアトリエがあり、工具と木材が所狭しと並んでいます。

野澤さんのつくる木工作品は、やや赤みがかった漆塗りの器など、和の暮らしに合う民芸調のものが多い。それまでの野澤さんのキャリアを漠然と知っている人には、ちょっと意外な作品群です。

野澤さんは、大阪のクリエイティブ集団grafの創設メンバー6人のひとり。98年から10年以上に渡りgrafのさまざまな家具作り、空間作りに作家として、職人として携わってきました。

「もともとひとりでこつこつとものづくりをすることが好きだったんです。田舎へ移り住むと、もう一度原点に立ち戻りたいという気持ちがふつふつと沸いてきて……。アトリエと店と住まいを兼ねる物件を探し始めたんです」という野澤さん。grafのイメージとはまったくかけ離れた、古民家をそのまま和のテイストを生かして改築したショップをつくったのでした。

「改築と言っても作ったのは縁側であった場所をくつろげる空間にしたことぐらい。そのほかはほとんど触っていませんよ」と笑う野澤さん。その空間は、無垢木のまま真新しさを感じる窓や屋根、壁には書、60年代北欧風のソファと昭和テイストのイス、アンティークの扇風機、モダンデザインを感じるシンプル照明……。何風というひとつのテーマに統一されていないのに調和している上、落ち着く空間です。「日本の家って元来こういうものだと思うんです。いろいろなテイストのものがごちゃごちゃと混ざっているけど和む――。モダン風とか北欧風に統一した、カッコいいけど無理している空間って疲れちゃうんですよね。だからひとつひとつの家具やアイテムはぜんぜん違う方向性でも全体がなじんでしっくりくるといいなと思っているんです」。

ぱっと見ただけではわからないその空間のまとまりと居心地の良さは、1時間、2時間とたたずんでいるとじんわりとわかってきます。窓の外には青々とした田園が広がり、誰もが時間を忘れてしまう不思議な心地よさがあるのです。


野澤さんの原点。

grafの創設メンバー6人が出会ったのは箕面にあったアンティーク家具店。そこで仕事をしながら、いつか一緒にものづくりをしようと約束をしていたという。そんな中、1995年に阪神大震災が起こり友人を助けに被災地に入ったまま1カ月間ボランティアに明け暮れた野澤さん。勢い離職してしまったので、さてどうしようかと京都へ職と家を探しに出かけました。

京都北部の高雄でふらりと入った喫茶店で、家を探している話しをしたところ、喫茶店のマスターから高雄の一軒家を紹介され、その場で即決。家とアトリエとなる古民家を手に入れることに。この喫茶店のマスターは、いまでは全国で知られるオオヤコーヒーのオオヤミノルさん。偶然とはいえ、その後一時代を作るふたりは出会うべくして出会ったのかも知れません。

さて何をしよう。自分にできることはアンティーク家具の修繕だ、と京都のアンティークショップを巡り骨董家具レストアの仕事を受け始めました。もうすぐ取り壊すという理由から破格で借りていた一軒家は改装も自由だったので、早速畳の床を抜いて土間のアトリエを作りました。家の表には「家具修理承ります」の看板も。独立のスタートとしては上々です。

とはいえ、アンティークの家具修理の仕事がそんなにたくさんあるわけでもなく時間を持て余していたとき、この家の持ち主である材木店のオーナーから、アルバイトに誘われたのです。二つ返事で材木運びなどのアルバイトをしているうち、一人のおじいちゃん大工さんと出会います。

70歳に近いお歳のため大きな家を一から担当することはなかったのですが、リフォームなどは一人ですべて担当。離れ造り、部屋の改築、床の張り替えなどさまざまな仕事に野澤さんを伴って出かけました。このアシスタントは1年半におよび、知らず知らずのうちに空間づくりのAtoZを覚えることに。


空間づくりにすっかり傾倒した1年半。

頼まれるがままに仕事をしていたらいつの間にかいろいろなコトを覚えていた、とてもラッキーな野澤さん。今度はオオヤさんを通じて、西京でアンティーク調のお店をしたいので物件の内装を担当してくれないかというお仕事が舞い込んできました。

クライアントは京都在住の書道家のお母さま。和洋を問わずアンティークが好きで、アンティーク家具やステンドグラスを生かした喫茶店を作りたいという。おじいちゃん棟梁から学んだ技を生かし、アンティーク家具のレストア技術を生かし、野澤さん自身が好きな風合いとお母さんの要望などをうまく調和させ、じっくりと時間をかけて作り上げたそのお店こそ野澤さんの記念すべき担当物件第1号。残念ながらいまはもうないのですが、野澤さんの空間造りの第一歩がここから始まりました。

「何やら器用なやつがいる」というウワサを聞きつけ、今度は大阪の工務店が野澤さんにアプローチ。短かった京都住まいと別れを告げます。新しい仕事は、大手の建設会社のマンションや店舗などの物件を手がける工務店の大工さん。野澤さんが担当するのは規格にはまらない据え付け家具や空間造り。

野澤さんご自身の口から直接は語られませんが、空間づくりの職人としてほかにない「センス」を持ち合わせていたからこそ、次から次へとユニークな仕事が舞い込んだのでしょう。その結果、実験を楽しむように新しい仕事を次から次へと体得していきました。

工務店での仕事を1年半ほど続けたころ、仲間みんなの中にそろそろ気は熟したという気運が高まり、いよいよgrafが始動します。

98年、いよいよgrafが始動。

サブロクソファとメンバーの作品がぽつぽつと並ぶ、南堀江の雑居ビル2階の小さな部屋。これが grafの原点です。最初、専従したのはデザイナーの服部さんと野澤さんのふたりだけ。服部さんがショップに立ち、野澤さんはひたすら家具づくりに没頭する毎日。そうするうち6人全員がそろい、graf創設物語として有名なエピソード、大正のアトリエ(工場)での共同生活が始まりました。

98年といえば、日本独自のカフェ文化が一気に開花した時代。grafの家具は全国で爆発的な人気を得ました。同時に空間プランニングを手がける機会も増え、瞬く間にクリエイティブ集団としてのgrafを知らない人はいないほどの著名な存在となりました。

家具職人として、空間づくり職人として、走り続けてきた10年間。「お客さんは面白い人ばかりで、仕事も出会いも楽しんでいました。けれど10年たってgrafは本当に大きな存在になって……。本当はひとりでこつこつとものづくりすることが好きだったって気づいたんでしょうね」と言う野澤さん、grafの設計スタッフであったジョイさんも結婚を機にgrafを離れていたので、ちょうどうまくタイミングがあって、新しいスタートを切ることになったのです。


篠山での二人三脚。

「わたしは数寄屋建築なども作る建築事務所にいたこともあり、和の空間、和のものが大好きなんです」というジョイさん。『居七十七』を見ながら、本業である設計の仕事を続けています。ジョイさんが設計して、野澤さんがつくる――篠山にいながら息の合った空間づくりが可能なのです。お店の入り口に並べられているのは、昭和30〜40年代のデッドストックタイル。大きさも色もいろいろです。けれど、どれも昭和と欧米のモダンスタイルをミックスしたような味わいがあって、今の建築に使うとすごく映えそうなものばかり。

「このタイル、今では使われていないんです。かつて、このようにたくさんあった種類のタイルなど建材文化が、間取りやコスト重視のため廃れてしまいました。最近では、売れないタイルをクラッシュし再利用する技術が生まれたりして……、デザインやサイズの規格がどんどん淘汰されています。そんな現状を広く知ってもらい、空間作りの考え方を変えていきたいと思っています」と言うのはジョイさん。使われなくなった古民家の窓やドア、壁の一部などもきれいにレストアされて次の出番を待っています。

こんな風に、自然体で自分たちの感性を信じて、やりたいことをゆっくりと実現してきた野澤さん、最近のお仕事は『スターネット大阪』の内装。「graf時代にいろいろな方と知り合えたのはよかったですね。今回も馬場さんから声をかけていただいて松屋町の長屋を、できる限り建物の風合いを生かして改装しました。面白い建物で、いい空間ができましたよ。4月にできたばっかりなんですけど、また改装してお盆明けには広くするんです」。

どかんと竣工するのではなく、古いものを少しずつ改装してその時々の必要性や感覚にフィットした暮らしの場をつくる。最近は日本でも少しずつ実践されている、長く続く住まいの考え方を反映しているようでもあります。時間がゆっくり流れる篠山で、感性だけはしっかりと磨きながら、ゆったりとものづくりをする。野澤夫妻は、豊かで贅沢な本当の暮らしを手に入れたのです。

「もうすぐ荒西くん(同じくgrafの創設メンバー)も工房をオープンするんですよ。遊びにきているうちに、篠山が気に入ったみたいでね。最近、いろいろ知り合いも増えてきてなんかうれしいですね」という野澤さん。昨年5月、器と小道具のお店『ハクトヤ』がオープン、ササヤマルシェというイベントが開催され、この7月『トロンコ』がオープンしました。野澤さんが直感で選んだ篠山は、これからどんどん楽しくなっていきそうな予感がします。


 

 

居七十七(いなとな)

兵庫県篠山市栗柄476-3
Tel:079-506-0343
営業時間:12:00〜17:00
定休日:木・金曜

居七十七(いなとな)ホームページ
poncraft ホームページ

《大阪からのアクセス》
電車:JR大阪〜篠山口約1時間、篠山口駅〜栗柄奥バスで約20分
車:大阪〜丹波篠山口は、中国自動車道、舞鶴若狭自動車道で約1時間。