from 山梨 – 9 - 映画『インビクタス / 負けざる者たち』に感動して泣いて、日本について考えたら泣けてきた。

(2010.02.19)

甲府にある映画館「グランパーク東宝8」で、『インビクタス / 負けざる者たち』を見て来ました。

 

1990年代前半の南アフリカ共和国(以下南アフリカ)が舞台のこの映画は、反アパルトヘイト運動によって1962年に逮捕され、1964年に国家反逆罪による終身刑となってロベン島~ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に収監されていたネルソン・マンデラ氏(以下マンデラ氏)が、27年間の獄中生活を経て1990年に釈放されるシーンから始まります。
マンデラ氏が逮捕された1962年は東京オリンピックの2年前、釈放された1990年は東西ドイツ統一の年です。

南アフリカでは、マンデラ氏が生まれた1918年にはすでに「鉱山・労働法(鉱山での白人・黒人間の職業区分と人数比を全国規模で一般化。最初の人種差別法)」「原住民土地法(人口の70%を占める黒人を国土の9%の原住民指定地に居住させる法律」などの人種差別法やアパルトヘイトという言葉が登場していて、1936年には「原住民代表法(普通選挙名簿から黒人を排除。代わりに黒人の代表者として白人議員を選出)」のもとに黒人から選挙権が剥奪されることになります。
そして、1948年に政権を取った国民党(オランダ系移民の農民や都市の貧しい白人が基盤)が、このアパルトヘイト(人種隔離政策)を国策として、国内外からの反発や批判を受ける中、積極的に推進していきました。
マンデラ氏は大学在学中の1944年にアフリカ民族会議(1912年創設。少数の白人支配に対抗する最初で最大の政治組織)に入党して反アパルトヘイト運動に取り組み、その過程で政治犯として逮捕されたのです。

マンデラ氏釈放の翌年、1991年に当時のデクラーク大統領によってアパルトヘイトの終結宣言がなされました。
そして、その3年後の1994年に行われた全人種参加総選挙でアフリカ民族会議が勝利し、黒人初の大統領にマンデラ氏が就任したのです。

マンデラ氏が大統領に就任した翌年、1995年に南アフリカで第3回ラグビーワールドカップが開催されることになります。
南アフリカはアパルトヘイトの制裁措置として、オリンピックをはじめとするスポーツの国際大会から長い間締め出されていました。
それまで南アフリカではラグビーは白人のスポーツとして位置づけられており、ラグビー南アフリカ代表チームである『スプリングボクス(南アフリカの動物、スプリングボックに由来)』は人種差別の象徴とも言えるものでした。
しかしマンデラ氏は、それを南アフリカ国家再建のために利用できると考えたのです。
彼は、スポーツには国民をひとつにする力があることを知っていました。
そして、国に自信と誇りを持ってまとまった国民には奇跡を起こす力があることも。
マンデラ氏は国民の力を信じ、人々に自信と誇りを取り戻させようとしたのです。

 

日本で言う「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の言葉通り、黒人はスプリングボクスの緑と金のジャージデザインを変えようとしますが、マンデラ氏はそれを制止します。
国歌については、1957年から南アフリカ国歌として歌われていた「南アフリカの呼び声」と、アパルトヘイト下の黒人解放運動で盛んに歌われ、反逆歌とされていた「神よ、アフリカに祝福を」のふたつをひとつに編曲し、制定しました。
そして国旗については、アパルトヘイトとの決別を明確にするため、新しいものに改められました。

黒人が暴力的に支配権を奪い、白人が国から追い出されるようなことが起きかねない状況の中で、マンデラ氏は自身を27年間も幽閉した白人に仕返しをしないばかりか、黒人にも白人にも繰り返し自制を求め、肌の色や民族の違いを超えた自由で平等で差別のない統一された南アフリカ国家を作り上げるために、民族和解・協調政策を推し進めていったのです。

映画のタイトルになっている『インビクタス』は獄中のマンデラ氏を支えた詩で、「私が我が運命の支配者、我が魂の指揮官」という一説が刻まれています。
この映画は、この詩こそが、私が尊敬して止まないマンデラ氏の強い目的意識と、目的に向って進む彼の自制心・自尊心を強固なものにし、支えていたのだということを淡々と映像にして見せてくれました。

ところで。
この「国家」「国民」「人種」というテーマは、私たち日本人が最も苦手とするテーマなのではないでしょうか。
なにしろ今の日本という国は、総理大臣自らが「日本列島は日本人だけのものではない」「国というものがなんだかよくわからない」と公言し、それが問題にもならないお国柄です。

『インビクタス』を見ながら、私の中に「同じ国籍を持つ国民の間に人種の違いを理由に異なる権利や義務、自由や責任が存在することと、国籍が違うことによって異なる権利や義務、自由や責任が存在することの違いを理解している日本人がどれくらいいるのか?」という疑問が浮かび上がりました。

 

例えばアメリカ合衆国の選挙権が18歳以上に与えられていることに対して、日本の選挙権は20歳以上であるのは差別だ、とは言いません。
しかしこれが、同じ日本国民の中で18歳から選挙権を与えられる人と20歳から選挙権を与えられる人がいるとするなら、これは差別になります。
「国家」という言葉はそれが論じられる場面によって様々な意味を持ちますが、間違いなく言えることは、世界中のどこにも「国家であること」を放棄している国は存在しないし、他国に対してもそれを認めているということです。

マンデラ氏は、例えばかつて南アフリカに大量の移民を送り込んだオランダに乗り込んで「オランダ移民の入植によって黒人が差別されるに至ってしまった。我々に白人と同じ権利を与えろ」と叫んでいたのではなく、自分の祖国である南アフリカに対して「南アフリカは南アフリカ国民が統治すべきである」「各民族は等しい権利を持つべきである」「国の富は国民が分け合うべきである」「土地は耕すものに与えるべきである」と訴え、行動していたのです。

今、日本ではそんな「国民主権」が大きな岐路に立たされています。
その大きな例が、政府が今国会で提出しようとしている「永住外国人への地方参政権付与」に関する法案と、かつて民主党議員から請願が出された「外国人住民基本法」です。
前者の「永住外国人への地方参政権付与」は、日本に住む日本国籍を持たない永住外国人に地方参政権を付与しようという法案、後者の「外国人住民基本法」は、日本に住む日本国籍を持たない外国人に対して、不法入国・不法滞在であっても3年以上日本国内に住んでいればそれらの犯罪行為は不問とし、日本国民と同じ権利を付与するなどという法案です。
これらの法案についてはその危険さを指摘する有識者も多く、反発も大きいのですが、さらに問題なのは、これらが日本国民によって議論されないどころか、目に触れる機会もほとんどないまま、こっそりと成立に向けて動いているという、この状況です。

今国会への提出が検討されている「永住外国人への地方参政権付与」法案が可決されれば、日本における国防の最前線ともなる地方選挙が、ともすれば領土問題、歴史問題についての認識を異にする外国籍を持つ人々の意思によって左右されることにもなり得ます。
なぜなら、地方選挙は数十票、時に数票の差で形勢が逆転してしまうことがあり、さらに政府が国防の方向性をも地方選挙の結果に託そうとすることがあるからです。
今年1月、名護市長選挙の結果に沖縄普天間基地の移転問題を託したのは、記憶に新しいところです。

そして更に深刻な事ですが、ある地方議会では「永住外国人への地方参政権付与反対決議」を出そうとしたところ、特定外国人団体からの干渉(この団体の言葉を借りれば工作活動)によって、それまで反対だった議員が一夜にして賛成に転じ、反対決議を出せなかったという事態が起きています。
すでに日本国籍を持たない外国人によって内政干渉がなされ、主権者である日本国民の声が押さえ込まれてしまっている、これが現実です。

 

私に感動を与えてくれた、1995年に南アフリカ国民が掴んだもの。

強い自制心と自尊心を持って、国家再建のため、「1人1票」のために行動したマンデラ氏と、「国というものがなんだかよくわからない」「もともと首相の職にかじりついてもやりたいという思いでいるわけではありません」と公言する総理大臣を抱え、自国民の主権をいともたやすく投げ出そうとしている国、自分たちの主権崩壊の危機を知らされない国民、「お金をあげる」「タダにする」が「目玉政策」となる政治。
映画を見ながら、南アフリカでマンデラ氏が目指し、また、『スプリングボクス』が成し遂げた事は、今の日本ではこんなにも安っぽいものなのかと思ったら泣けてきました。

マンデラ氏を尊敬する私は映画冒頭の釈放シーンで既に涙ぐんでいましたし、この映画以前に見た実際の『スプリングボクス』対『オールブラックス』戦の映像で、『スプリングボクス』のジャージを一番上までボタンをきちんと留めて着用し、キャップをかぶって両チームの選手と握手していたマンデラ氏の姿を見て泣いたくらいですから、上映時間の134分、ずっと泣いていたようなものでした。
それは予想していたことです。
でも、この映画を見てこんなにも情けない気持ちで涙が出てくることになるとは思ってもいませんでした。

「没落してゆく民族がまず最初に失うものは節度である」
オーストリアの作家、アーダルベルト・シュティフター(1805-1868)の言葉です。
かつてのアパルトヘイトは節度を失った結果であり、大統領となったマンデラ氏が新生南アフリカ再建のために国民に呼びかけていたのも節度でした。

映画を見てから一週間ほど、感動をはるかに凌駕する情けなさに記事を書く気も起きませんでした。

「人類は皆平等である」といった大衆迎合的な言葉には、思考を止める魔力があると私は思っています。
なぜなら、正論だからです。
その言葉を口にすれば、他人から異を唱えられることはありません。
しかし、現実に人と向き合った時、「異を異として認め、受け入れ、尊重すること」こそが、人類が皆平等であることへの近道にはならないでしょうか。
冒頭で触れたアパルトヘイトについて、アパルトヘイトの建設者とも言われている国民党ヘンドリック・フルウールト(1958年~1966年の南アフリカ首相)は「アパルトヘイトは差別ではなく共存するための政策である。人種の違いは確かに存在している。その違いを認めて、受け止めるべきである」と説明していたようです。
しかし現実は少数の白人による政治的・経済的特権の維持と、非白人による安価な労働力の提供だったのです。
「異を異として認め、受け入れ、尊重すること」は、自分自身を律する大きな努力と勇気を必要とすることです。
そして、周囲からの非難を受けることなくこの努力を放棄するには、「人類は皆平等である」という言葉に逃げ込んでしまうのが一番です。
しかし、「私とあなた」「我が家とお隣さん」「人種」「宗教」「国家」…「異を異として認め、受け入れ、尊重すること」を放棄することによって、また、相手に対して一方的に「異を異として認め、受け入れ、尊重すること」を要求するだけで、尊重されるに値する努力を怠ることによって起こる諍いは世界中で数え切れず、多くの場合、それは命を脅かすものになっているのです。

ところで、プレーの激しさからフィジカル面が強調されることの多いラグビーは、それゆえにバランスの取れた強い精神力と感情コントロール能力なくしては成り立たないスポーツでもあります。
2007年のラグビーワールドカップで試合解説をされていた村上晃一氏が、アルゼンチンの試合の際に「アルゼンチンでは感情のコントロールを身につける目的で、小学校の授業にラグビーを取り入れているそうですよ」とおっしゃっていました。
ラグビーはその精神性がとても興味深く、激しいコンタクトプレーでも喧嘩にならずにノーサイドまでゲームが続いていくのは(時々喧嘩になってますけどね)、目的意識を持った自制心と相手に対する敬意があればこそ、なのです。
喜怒哀楽を起点とするその場その場の本能的行動は誰のためにもならないばかりか、仲間の選手や相手チームの選手、審判をはじめとして、ゲームを観戦している観客までをも裏切る行為であり、自身の自尊心を傷つける行為なのだということを非常に強く感じさせてくれるスポーツで、それが私がラグビーを面白いと思う大きな理由のひとつでもあります。

そして映画『インビクタス』は、マンデラ氏自身がラグビーの根幹を流れる精神性の、最高の実践者だったことに気付かせてくれました。
このノンフィクションはどこまでパーフェクトなんでしょうか。

 

2019年、第9回ラグビーワールドカップが日本で開催されます。

2019年、日本でラグビーワールドカップが開催されることをご存知ですか。
昨年10月に、ニュージーランド代表『オールブラックス』とオーストラリア代表『ワラビーズ』の試合、『ブレディスローカップ』が日本で開催されました。
その時の大本営発表入場者数が45,000人。
日本の国立競技場で開催されたニュージーランド代表とオーストラリア代表のラグビーの試合に、45,000人が集まったのです。

『ブレディスローカップ』45,000人の一部。

この日、ニュージーランドやオーストラリアからはいくつもの応援ツアーが来ていました。
かつて、2002年にサッカーワールドカップで日本・韓国の共同開催というのがありましたが、2019年のラグビーワールドカップは日本の1カ国開催です。
2月15日現在のIRB(国際ラグビー評議会)ワールドランキングでは、先のブレディスローカップのニュージーランド代表『オールブラックス』は1位、オーストラリア代表『ワラビーズ』は3位。(ちなみに2位は南アフリカ、日本は13位です。)
どちらもラグビー熱の高い国で、オーストラリアを訪れた際は、滞在していたホテルのロビーに置かれていたテレビで、1週間ほどの滞在期間中ずーっとラグビーの試合が流れていたのが印象的でした。
いつ立ち寄っても、ラグビーの試合を見ることができるのです。
そしてこの両国、日本からかなり近い。
2019年のワールドカップではどれだけの人が日本を訪れるのでしょうか。
……『ブレディスローカップ』のハーフタイムに、売店のビールが売り切れて、混乱した英語が飛び交っていた様子が思い出されます。

この映画を見て涙を流していたラガーマンに「ラグビーにあまり縁の無い人にこの映画のストーリーをどうやって説明する?」と聞いてみたところ、「ラグビーは肌の色も大人も子供も関係なく夢中になれるスポーツで、1995年のラグビーワールドカップ南アフリカ大会で、『スプリングボクス』が『オールブラックス』を破って優勝する実話の映画」だそうです。
参考までに。

 
 

『インビクタス / 負けざる者たち』

2010年2月5日(金)より丸の内ピカデリーほか全国ロードショー公開中
http://www.invictus.jp/

監督・製作:クリント・イーストウッド
脚本:アンソニー・ペッカム
原作:ジョン・カーリン ”PLAYING THE ENEMY”
キャスト:モーガン・フリーマン『許されざる者』『ショーシャンクの空に』『ミリオンダラー・ベイビー』、
マット・デイモン『グッド・ウィル・ハンティング / 旅立ち』『ボーン』シリーズ
原作:『インビクタス / 負けざる者たち』(NHK出版刊) 
オリジナルサントラ盤:ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
配給 ワーナー・ブラザース映画