from 北海道(道央) – 41 - 「現代版北前船プロジェクト」。まもなくツアー第2弾がスタート。

(2010.10.12)
小樽市能楽堂にて「雅楽とチェンバロの雅な世界」。小樽住吉神社楽部の皆さんと明楽みゆきさんとの競演。小樽市能楽堂独特の雰囲気の中、自分がどこかの世界に迷い込んだかのような錯覚にさえ陥った。(写真は実行委員会提供)

 
「現代版北前船プロジェクト」始動。

「現代版北前船プロジェクト」。

このプロジェクトの事務局長を務める大塚英治(おおつか・えいじ)さんと、とある会合でご一緒し、実行委員会の外での無報酬ボランティアとして「企画協力」を依頼されたのが、今年の1月のこと。
 
20歳台半ばの頃、東京で「港」に関わる仕事に2年ほど携わった。昭和から平成へと「とき」が移ろうその頃、横浜では「みなとみらい」、大阪では「天保山ハーバービレッジ」、長崎では「ハウステンボス」と、官民入り乱れての開発が花盛りであったことから、今にして思えば大変貴重な経験を積ませていただいたと思っている。

その頃、たまたま職場で机を並べていた長崎出身の先輩が、学生時代に「北前船」をテーマに卒業論文を書いたということを、とある酒席で自分に語ってくれ、北海道と本州・九州・沖縄など全国との結び付きの深さを再認識したものだった。
 
この「現代版北前船プロジェクト」の発案者(副委員長)であり、中核を担っているのは、チェンバロ奏者・明楽みゆき(あけら・みゆき)さん。

京都のご出身で、5代遡る先祖である増田利兵衛は、近江(現在の滋賀県)の北前船の船主で、1860(万延元)年から船3隻を使って広く交易を行っていた。まさに明楽さんのご先祖たちが果たしてきた「大きな役割」を、現代において見つめ直すことを通じ、これから100年以上先をも見据えた「広域連携」「広域交流」の重要性を北海道・全国各地でともに考えていくことを提唱されるには「明楽さんは相応しい方だ」と、自分は直感し、お手伝いを引き受けることになったのである。

 

今年6月に、小樽発で第1弾の各種イベントが開催される。

実際に北前船は、江戸時代に北海道と全国とを結び、人・物・情報を相互に運び、食や芸術の双方向での交流に重要な役割を担ってきた。その代表的な物が「昆布」であり「鰊」であって、北海道から京都にもたらされた品々が、「ニシン蕎麦」という新たな「食」を京都に根付かせることになった。その延長線上にあるものが、北海道の「たらこ」が博多で「辛子明太子」へと加工されていたり、「地産地消」だけでは決して成り立つことのない、「広域交流」によって現在も経済活動は営まれているのだろうと、自分は考えている。
 
今年6月、プロジェクトの第1弾として、小樽・舞鶴間の定期航路であるフェリーを「北前船」と見立てたツアー、それに関連して小樽市内で「北前船を語る夕べ」、「ヘッドドレスショー」、小樽市能楽堂で「雅楽とチェンバロの雅な世界」、さらには北海道神宮が主催した「語りの世界・チェンバロの響き 開拓の物語」などが開催された。
 
「ヘッドドレスショー」は、チェンバロがバロック期に全盛を迎えたことを踏まえ、北前船が活躍した江戸期とヨーロッパのバロック様式の融合をテーマとした「ファッションショー」として開催され、北前船をかたどった簪(かんざし)や扇子で盛り付けたモデルさんが小樽運河周辺を歩く姿は華麗かつ壮観であった。

また、東北以北で最古の本格的「能楽堂」として保存・活用されている「小樽市能楽堂」で開かれた「雅楽とチェンバロの雅の世界」は、そもそも普段なかなか接する機会のない雅楽の演奏とチェンバロとの競演を能楽堂という舞台で奏でるということもあり、「異次元空間」へと迷い込んだ不思議な体験をさせていただいた。
 
この第1弾のプロジェクトは、小樽やツアーにおけるフェリーの中だけではなく、6月5日に京都・東福寺で「音紀行・時の響き 京都編」としてバロックコンサートが開かれるなど、北海道と京都の民間人による「広域連携」イベントとして開催され、大変な注目を集めるとともに、多くの皆さん方に満足していいただけたイベントとなった。
 

北前船の交易があった約150~300年前当時の日本のスタイルとヨーロッパで生まれた中世のスタイルを、小樽美容協会や札幌のデザイナーたちが独自のスタイルを考案し、「ヘッドドレスショー」を開催。「国と時代を越えた文化のコラボレーション」との評価を受けた。(写真は実行委員会提供)
ツアーレセプションイベントの一つとして「小樽運河プラザ三番庫」で開かれた「北前船を語る夕べ」では、輪島漆器を使った鰊三平汁が振る舞われた。輪島漆器も、北前船を使って北海道(蝦夷地)へともたらされた。(写真は実行委員会提供)

 

第2弾は、北海道・道南地方の北前船寄港地を訪ねる旅。

こうして大変好評に終わった第1弾のツアーだが、むしろ「北海道内の北前船寄港地の歴史を、もっと身近に知る機会をもちたい」という、北海道内外からの多くの声を受けて、10月22日(金)から24日(日)までの2泊3日という日程で、JRリゾート列車を利用して札幌から函館間を移動し、函館、江差、松前をバスで巡りながら「北前船による交易と軌跡」を学ぶというツアーが、第2弾として行われることになった。
 
今回は、『北前船寄港地と交流の物語』を著された北前船研究家・鐙啓記(あぶみ・けいき)氏による講演会、江差、松前の街並を歩き、現在も残されている北前船の足跡を辿るといった内容のツアーということだ。残席が少なくなっているようだが、関心のある皆さんは、是非ツアーに参加してみてはいかがでしょうか。
 
実は、今年11月末には、大阪にて「大阪プロジェクト」が開かれることも予定されていて、さらに来年は舞鶴から北海道へのツアーなど、全国の北前船寄港地でこのプロジェクトに関心を持たれている皆さん方との交流の拡大が、着実に進められ、今後10年は続けられるプロジェクトへと始動したのである。
 

小樽・舞鶴間の「新日本海フェリー」を北前船と見立てたツアーでは、数多くの「船内ワークショップ」が開かれた。旭川在住の絵本作家・あべ弘士(あべ・ひろし)さんが、北前船をイメージして鯨や海鳥をその場で描くパフォーマンスを披露した「北前船即興アート」。(写真は実行委員会提供)
「船内ワークショップ」の一つとして「300年前の時空を越えた文化コラボレーション シェイクスピア朗読劇とチェンバロの世界」。写真右は、シェイクスピアシアター俳優・平澤智之(ひらさわ・ともゆき)さん。(写真は実行委員会提供)
6月5日には京都・東福寺にて、「300年前の響き~バロックコンサート」が京都府、社団法人京都府観光連盟や京都新聞社の後援を受けて開催された。(写真は実行委員会提供)
ツアー終了後の6月15日には、北海道神宮の主催により、神宮例祭奉納公演として、神前舞台にて「語りの世界・チェンバロの響き「開拓の物語」」が奉納された。財団法人・北海道文化財団理事長の磯田憲一(いそだ・けんいち)氏による朗読(写真右)との競演。(写真は実行委員会提供)
10月のツアー第2弾で訪れる江差町にて。幕末の歴史を物語る、復元された「海陽丸」。江差では、旧家・横山亭を見学し、江差追分会館にて郷土芸能を特別鑑賞する。
今年7月末に復元・オープンした「箱館奉行所」。今回のツアーで立ち寄ります。1泊目は、函館湯の川温泉・平成館しおさい亭。
2泊目は、松前・矢野旅館に宿泊。もちろん、写真の「松前城」見学も行います。

 

さらには、母なる川「石狩川」との結びつきなど、無限大に広がる歴史と「夢」。

このように「現代版北前船プロジェクト」は、蝦夷地から日本海、京都までの航跡を辿ることで、北前船が育んだ人・物・食・文化・情報の交流を再発見し、その精神に、アート・食・観光を基調とした「新たな価値観」を創造し、「地方を元気にする」ことを目的とした活動と、解釈できる。
 
北海道の母なる川と言われる「石狩川」には、鮭が遡上し、江戸時代には鮭を中心とした交易が石狩川に沿って行われるなど、「道路」が整備されていなかった当時、石狩川が北海道の内陸部や千歳方面との交通を「舟運」という形で担っていた。

先月、石狩川下流域に残される「歴史的建造物」のフットパスや石狩市において検討されている石狩川の「舟運」などを、「現代版北前船プロジェクト」と結びつけることができないかという、実行委員会発案による視察も行われた。

視察を終えた明楽さんは「石狩川の美しさを本州の方たちにも知っていただきたい。ニューツーリズムとしての新しい価値観も、北海道民の方々と一緒に考えていきたい」と語られていた。

まさに、この「現代版北前船プロジェクト」は、無限大に広がる歴史と「夢」とを紡ぐ、壮大なものであり、各種イベントを通じた皆さま方の参加を、私自身も楽しみにお待ちしております。

最後になるが、このプロジェクトの実行委員長である眞田俊一(さなだ・しゅんいち。元北海道副知事)氏が、過日、病気療養中のところ御逝去された。この場をお借りし、生前における故人の献身的なご活躍に心からの感謝を申し上げるとともに、謹んで哀悼の意を申し上げ、ご冥福をお祈りいたします。
 
「現代版北前船プロジェクト」公式HP

 

石狩市内に現存する木骨建築としては最古の「旧長野商店」にて、石狩が「場」として栄えた当時の時代背景などについて、石狩歴史案内人(写真左)から説明を受ける。石狩市内には、現在も数多くの歴史的建築物が残されており、現地見学された明楽さんは、残された数々の品々から「確実に北前船による交流が、石狩川下流域で行われたはずです」と語られた。
「道路」や「鉄路」が開通する前、石狩湾から北海道の内陸部へは石狩川を通じた「舟運」が重要な交通手段であった。石狩川に架かる「石狩河口橋」を見上げながら、明楽みゆきさん(写真左)と石狩川舟運などを組み合わせた新たな観光の可能性について語り合う筆者(写真右)。ちなみに、大手新聞数社に掲載された同アングルの写真を改めて眺めてみて、自分自身の頭髪の驚くべき後退ぶりに、今年最大のショックを受けた筆者であった。この際、「増毛(ぞうもう)」を考えるべきか……。次回の『WEBダカーポ』記事をお楽しみに(笑)。